麦茶のちゃちゃちゃ


テレビという額縁の中で話す最近よく見る女優がダイエットの為に12リットル水を飲みますと気取ったように話す。



佇まいには気品とそして人懐こい顔立ちで普段は隠されている生来の気の強さが時折姿を見せている。


よく水には味がありますとか言う人がいるけどわたしにはよく分からない。


どこどこの山の麓で採れた湧き水なんて言われてもわたしの舌は山の香りを感じ取らないし、それらは食道を通って胃に落ちても雄大さを取り戻すことなくわたしの身体の一部と化す。


軟水の方が硬水より好きだけど、何でかと言うと飲みやすいからであってそれ以上でもそれ以外でもない。


できたら味のついてるお茶がいい。


それも、気品をそなえてるけどちょっとつんとした感じのする緑茶でもなく、何回飲んでも親しい感じがしない烏龍茶でもなく、食べたことないけど岩みたいな味のするほうじ茶でもなく、麦茶がいい。


香ばしくてほんのり甘くて、毎日飲んでるくせに日々懐かしさを更新し続ける麦茶を飲み続けていたい。


気づくと手元のコップはさっき注いだばかりなのにからっぽで口の中にはすっきりとした香ばしさがたちこめていた。また注ぐ、飲む。注ぐ、飲む、そんなことをいくらか繰り返してるうちに、机の上の麦茶のペットボトルは空っぽになっている。


ダイエットの為とかそんな女の子らしい理由なんかじゃなくていとも簡単に2リットルなんて飲み干してしまう。


喉が渇いてるわけではない。渇いてるのはいつだって心だ。潤いが足りなくて、とりあえずと応急処置のような形で摂取した水分はその場での私の欲望は満たすのに効果は一瞬だ。


足りない。何かが足りない。でも何が足りないんだろうか。それも自分の一部だと笑って受け入れられればそれでいいが、そんな自分を許してばかりで上に行けるのだろうか。わたしはいつだって高みに登りたい。みんなが羨むみたいに。


その瞬間がきっとわたしの至福なのかもしれない。人に会うと自分の渇きを感じる。自らの不足を感じる相手と接して自分の空虚さを目の当たりにする苛立ちと逆に相手に不足を感じてその人といることに退屈を感じる苛立ちとの二種類があったら、一体どっちがいいんだろうか。



P.S.これは前に私小説ぽく書いたものが携帯のメモに保存されてたから貼り付けてみた笑