ティファニーのクロワッサン


最近は、生粋の日本人で英語はからっきし、日本語を愛し、日本語に愛されてる、、わけではないけど、日本文学を専攻している南川がなんと洋画にハマっている。



それも最近の映画じゃなくて、ローマの休日やらティファニーで朝食をやら、

やたら古き代表作を見漁っている。



そもそも20年生きている人間は、そんな映画たちとっくに見たことあって予備知識ぐらい常識でしょうと思うのかもしれないが、



何にせよ私は常識ほど知らず、必要か分からない知識ほど持ってる女なので、

当然のごとくそれらの映画たちも初めてちゃんと見た。



私は昔から影響受けやすい女だから(友達で「し」から始まるもっと単純女もいるのだけれども)、当然のように映画の影響を受けちゃう。



映画を観たあとすぐは自分がどこか良家のお嬢様だと思ってる気分で、街を颯爽と歩いちゃうし、心なしかいつもより赤リップをぐりぐり塗ってたりする。



ローマの休日」を見た次の日には、アイスクリームが食べたくなって、サーティワンに行き(いつも食べたいものに付き合ってくれるひなのに感謝すぎる)、コーンを未練ない顔で優雅な手つきで捨てる、、ことは流石にしないけど、日常に対する影響がいろんなところに表れちゃう。



ローマの休日」はとても分かりやすい、王道な、裏を返せばありがちなストーリーだったけど、何にせよオードリー・ヘップバーンが美しすぎて尊すぎて、夢見心地で最後まで見た。



その流れで「ティファニーで朝食を」を見て、勿論楽しくて名作なのも納得いったんだけど、色々突っ込みたくてここに来た。



この映画の内容自体は知らなかったけれども、「ティファニー」ってワードと「朝食」ってワードは、知らない人いませんよってくらい有名な組み合わせじゃない?当然のようにアクセサリーブランドしても名高いし。



だから勝手に「ティファニー」と「朝食」を凄く高貴なものに祀り上げてる自分がいた。



最近、原宿に出来た「ティファニーで朝食を」食べれるカフェが大人気だって事実も手伝ってとにかくどんなロマンチックな朝食なんだろう!!って思ってたの。



だから映画を見て拍子抜けしてしまった。



え、めっちゃ安そうなクロワッサン齧ってるじゃん!!!



オードリー・ヘップバーンが優雅な手つきで袋の中から取り出す飲み物(紅茶?)これもまた安易な紙コップで、うっとりするほど滑らかな陶器のティーカップで飲むものだとばかり思っていたからびっくりした。



こんなクロワッサン食べるんだったら、わたしのバイト先のパン屋のクロワッサン食べた方が絶対美味い。


飲み物だって、プラスチックカップにパックの飲み物注いで400円近くするという「どの過程でそんな値段膨れ上がったの?」って聞きたくなるレベルだけど、絶対バイト先のが美味い。


(ティファニーファンにボコボコにされそうだな、今のうちに謝っとこ…)



この朝食たちに憧れた人たちで、前述の原宿のティファニーカフェが栄えているのか、、と思うとなんとも変な気持ちになってしまった。


https://travel.navitime.com/ja/area/jp/guide/NTJpoi0389/


「予約必須」で予約をしようとしてもサイトがパンクし、やっと繋がったと思ったら予約終了し、結局出来なかった者が続出してるらしい、軽く恐怖だ。



かくいう自分も映えカフェ、おしゃカフェ大好き人間で、大したことない味とボリュームの食べ物も空間料金だと思えばオッケー♪可愛いものって最高♪と思っているタイプだけど、そんな私でさえ太刀打ち出来ないほどティファニーの勢いってやばい。



しかも映画を観ると分かるが、映画に出てくるティファニーはあくまでもアクセサリーショップであってカフェではない。


その辺りの齟齬を不思議に思っていたら何となくウィキペディアさんに載ってた、あくまでも「忠実な再現」ではなく「想像力」だと思う。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%A7%E6%9C%9D%E9%A3%9F%E3%82%92



映画版もタイトルに則った上で頑張ってあのシーンを取り入れたのだろうか。



とにかく「ティファニー」と「朝食」が自分の中で一人歩きし過ぎてしまっていた。

ありえないくらいどこか遠くまでいってしまっていた。



でもあのシーンはやっぱり心に強く残っているから、誰もが憧れる名シーンだというのも頷ける。(急に保身に入るwww)





なんだかんだ言ってもきっと私の身体の隅々までティファニー

影響物質として行き渡ってるから、もうまもなく私はクロワッサンを気怠げに食べたいとか

言いかねないし、こんなにティファニーのカフェについてけなーいとか言ってるのに何食わぬ顔で「行ってきたよ♪」とか

ほざいてるかもしれない、どうかしてるなwww




洋画に造詣が皆無だった私が少しだけでも嗜んでいて、私自身ちょっとホッとしている笑





てことで明日の朝ごはんはクロワッサンを食べようかな!おわり!

麦茶のちゃちゃちゃ


テレビという額縁の中で話す最近よく見る女優がダイエットの為に12リットル水を飲みますと気取ったように話す。



佇まいには気品とそして人懐こい顔立ちで普段は隠されている生来の気の強さが時折姿を見せている。


よく水には味がありますとか言う人がいるけどわたしにはよく分からない。


どこどこの山の麓で採れた湧き水なんて言われてもわたしの舌は山の香りを感じ取らないし、それらは食道を通って胃に落ちても雄大さを取り戻すことなくわたしの身体の一部と化す。


軟水の方が硬水より好きだけど、何でかと言うと飲みやすいからであってそれ以上でもそれ以外でもない。


できたら味のついてるお茶がいい。


それも、気品をそなえてるけどちょっとつんとした感じのする緑茶でもなく、何回飲んでも親しい感じがしない烏龍茶でもなく、食べたことないけど岩みたいな味のするほうじ茶でもなく、麦茶がいい。


香ばしくてほんのり甘くて、毎日飲んでるくせに日々懐かしさを更新し続ける麦茶を飲み続けていたい。


気づくと手元のコップはさっき注いだばかりなのにからっぽで口の中にはすっきりとした香ばしさがたちこめていた。また注ぐ、飲む。注ぐ、飲む、そんなことをいくらか繰り返してるうちに、机の上の麦茶のペットボトルは空っぽになっている。


ダイエットの為とかそんな女の子らしい理由なんかじゃなくていとも簡単に2リットルなんて飲み干してしまう。


喉が渇いてるわけではない。渇いてるのはいつだって心だ。潤いが足りなくて、とりあえずと応急処置のような形で摂取した水分はその場での私の欲望は満たすのに効果は一瞬だ。


足りない。何かが足りない。でも何が足りないんだろうか。それも自分の一部だと笑って受け入れられればそれでいいが、そんな自分を許してばかりで上に行けるのだろうか。わたしはいつだって高みに登りたい。みんなが羨むみたいに。


その瞬間がきっとわたしの至福なのかもしれない。人に会うと自分の渇きを感じる。自らの不足を感じる相手と接して自分の空虚さを目の当たりにする苛立ちと逆に相手に不足を感じてその人といることに退屈を感じる苛立ちとの二種類があったら、一体どっちがいいんだろうか。



P.S.これは前に私小説ぽく書いたものが携帯のメモに保存されてたから貼り付けてみた笑 

ミルクは魔材

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日付けも回って、早くももう2時になる。



草木も眠る丑三つ時、こんなこと書いてると

一刻も早く眠れ、いいからベッドへ駆け込めって言いたくなるけど、それがどうしても出来ない。


夜更かしは麻薬だ。

人に取り付き、人の健康を貪り食べると同時に言いようのない快感を与えてくれる。




そんな夜更かしに取り憑かれて、まだベッドに入りたくないので、今日はわたしの好きな「ミルク」の話をしようと思う。


「ん?ミルク?の話?は?」って意味不明に思ってUターンしてこのブログを閉じたくなるかもしれないけどちょっと待って欲しい。

少なくともこのブログを読めば、「ミルク」の素晴らしさを2ミリくらいはお土産として持って帰れると思うの。(は?)


あ、さっきの写真は関係あるのか無いのか微妙だけど、韓国で飲んだ、バナナウユとカフェオレウユ。


韓国語だと「ミルク」のことを「ウユ」って言うの、可愛くない、、?


そう、「ミルク」の魅力を語るにはまず「ミルク」の持つ音の素晴らしさが不可欠だと思う。


「マ」行から始まって、次に「ラ」行を持ってくる。ここから「ミルク」のやり手な性格が窺える。


日本人でも「マ」行の名前から始まる女の子が多いように、やっぱり「マ」行には、柔らかくて愛らしくて親しみやすい響きがあると思う。


続いて「ラ」行だって同じで、なんだかハミングでも口ずさみたくなるような語感がある。


これらを組み合わせた上で、最後に「ク」と締めくくるのもまた乙でずるいのだ。


愛らしさを存分に振りまいた上で、きちんとその伏線も回収する、まさに自立した魅力的な女を思わせるような姿勢がずるいのだ。


ここまで来ると、日本語の「牛乳」がなんだかとっても田舎臭くて、所帯染みたものに感じられてしまう。


「牛」というワードに何か胸の高鳴りを思わせるような響きも無いし(とは言いつつも、普段、牛には食生活を支えていただいてるだけでなく、実生活も「牛久駅」に支えていただいている)、

ここでいう「乳」には「おっぱい」の持つような夢が詰まっているわけでもない。


ただひたすらに「牛乳」、それ以上でもそれ以下でもない。


しつこいようだが、もう悲しいくらいに「牛乳」なのだ。


これが、「牛」という動物に「うさぎ」のような、可愛らしいイメージでも付いているのなら話は別だが、そういう可能性もない。


実際に「乳臭い小娘」などという言葉があるように、どこか垢抜けない野暮ったいイメージがある。


(それにしても女を「乳臭い」と小馬鹿にする男はどういう神経しているんだろう。そうやって減らず口を叩く奴ら誰もが「乳」なしでここまで成長出来なかったというのに)


とにかく、語感の上では「牛乳」を遥かに上回って「ミルク」が大勝利する。これはまぎれもない事実である。(ということにここではしておく)


ゆえにわたしは「ミルク」と付く言葉に弱い。弱小だ。


ミルクティー、ミルクパン、ミルククリーム、ミルク色、苺ミルク、etc.


その全てが愛らしくて、手に取らずにはいられない響きがある。


このどれもが「牛乳」ではなく「ミルクであって欲しい。


何がわたしをこんなに「ミルク」に惹かせるのかは、わたし自身もよく分からないが、とにかく「ミルク」には魔力があるのだ。


aikoの「milk」だって他の曲とは比べものにならないくらい聞いたし、フォーリミの「milk」も同様。


もちろん味も好きだ。これに関しては相当意見が分かれると思う。


わたしは、小学校の牛乳は何も思わず飲み干していたが、どのクラスにも一定数の「牛乳が嫌いな子」が存在する。(それも何故か女子が多い)そしてその子達の牛乳を、これでもかというくらい貰って、馬鹿の一つ覚えのように片っ端から飲み干す子が存在する。(これは何故か男子が多い)


牛乳が嫌いな子たちはこれをほとんど「臭い」の一言で一蹴する。あんまりではないか。


たしかに独特の臭みはあるけれども、やっぱり牛乳は優しくて、愛があって、ほの甘い、ステキな飲み物だと思う。


牛乳は飲み物に使われるだけでなく、さまざまな「乳製品」としても使われる。

本来、牛の子供のために作られる「牛乳」をこんな形で大量摂取する人間はいつかみんな「牛」になっちゃうのだろうか。


こんな風に「ミルク」に取り憑かれてるどうしようもない人間だから、一度どうしてこんなに自分は「ミルク」に惹かれるのか考えたことがある。


まず、先程述べた語感だ。これは「ミルク」への愛に必要不可欠な存在。


それから「ミルク」のもつエネルギッシュな面。

「ミルク」は優しくてほの甘い。何にでも染まる無垢な白色をしているし、和食にも洋食にも形を変えて馴染む。菓子類にだってその存在を仄めかすことなくひっそりと、でもしっかりと主役を支えるそつなさがある。

何しろ、「乳」は本来「子を育てるため」という目標がある。当然そこには栄養が集まる。力がある。

そんな多様性を秘めつつも、至って「ミルク」は控えめにわたしたちの生活に寄り添い、何気なく冷蔵庫のポケットにいる。

ハイスペックな人間に対し、自分を誇示せずにあくまでも控えめにそつなく仕事をこなす姿に好感が持てることと同じだ。


「ミルク」には周りから愛される魅力が溢れている。


ここまで読むとみんな「ミルク」の魅力に改めて気づかない?、、そっかそんなに感じないか。


牛さんありがとう!!大好き!!ってならない?、、そっかそんなにならないか。


ちょっとでも「ミルク」の素晴らしさが伝わってますように。とか言いつつ、バイト先のパン屋でコップに氷と牛乳入れただけの「アイスミルク」が馬鹿高い値段なの見て、「金の無駄やねん」とかほざいちゃうけど。


「ミルク」は瓶入りが1番うまい。早く銭湯にでも行っていちごみるくがぶ飲みしたい。


「ミルク」ってほんとに魔力がある、魔材って感じがする。


ドロスだって「All you gotta do is drink all your milk」(牛乳さえ飲んでおけば全てがうまくいく)って言ってるもん、間違いない。


そろそろ寝ようっと。明日も朝起きて「ミルク」を飲もう。



暇だったら見てね!↓

https://youtu.be/pia0iJLqzmA